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名誉院長心のエッセイ -枚方市歯科医師会報-

洗心 宮﨑 白雲斎 洋

心を洗うためのひとつの方法は、修行や善行であり、日々の生活の中で、人を思いやり、人にやさしく接することです。

「洗心」は正月にふさわしいことばです。
正月はもともと再生や修行を意味する月であり、元旦の朝、暗いうちに井戸水や湧き水をくみにいく「若水(わかみず)とり」の風習は再生の象徴でもあります。

私たちは日々診療することで患者様の苦しみを取り去り、美しく再生することで自分の心を洗うことができます。(抜苦与楽)

今一人の少女の「洗心」の物語を紹介します。

大塚の貝塚市立第四中学校三年生の津田ひとみさんが発表した、少年の主張「輝き」です。

今まで味わったことのない達成感。私の心が輝いた瞬間でした。

学校のトイレと聞くと、誰もがあの臭く汚れた便器が頭をよぎると思います。
私もそうでした。便器を素手で磨くなんて、絶対に考えられない……。その光景を見た時に受けた衝撃は、言葉に言い表せないものでした。

昨年九月、私達の学校に「泉州掃除に学ぶ会」の方々が来て下さいました。
私たち四中の生徒と一緒にトイレ掃除する。その活動に私も参加しました。それまでも、学童保育、老人ホーム、障碍者の施設など様々な場所でボランティア活動に意欲的に参加してきました。そのたびに「ありがとう」と感謝される、温かい笑顔に包まれることがうれしくて……。

以前の私は、完璧(かんぺき)主義者でした。何でもできる良い子と思われたくて必死でした。私がそんな風に思うようになったキッカケ―それは小学生の時、両親が別々に住むことになりました。私にとって父のいない寂しさより、毎日働き続けている母の姿を見る苦しみの方が何倍も大きいものでした。何もできない幼い自分のもどかしさ……。忙しい生活の中で、常に笑顔を絶やさなかった母が初めて流した涙。今でも目に焼き付いています。その時決心したのです。「良い子になろう」と。「お母さんに喜んでもらいたい」。小さな心に芽生えた大きな想いでした。

やりたくない事でも、周りの人が見ているからやる。人の目ばかり気にする日々。いつの間にか建前だけの私と本心の私、二人の私を使い分けるようになり、「良い子」を演じるようになっていきました。その方が楽だし、周りも認めてくれる。純粋に母を思いやる気持ちが間違った方向に進んでしまっている事にまだ私は気付いていなかったのです。

そんな私が、荒れていると(うわさ)の四中に入学しました。この学校では、生徒会を中心に学校を良くする為という目標を持ち、様々な取り組みを行っていました。
良い子でいたい私はそんな活動にも積極的に参加しました。でも、心の中では「なんで私が掃除なんか……。」「しんどい」「面倒くさい」と、もう一人の私が(ささや)いていました。上辺(うわべ)だけの心が入っていない活動を続けていました。

そんな時に出会ったのが、学ぶ会の方々。
何のためらいもなく、汚れた便器を素手で磨き始めたのです。一瞬鳥肌がたちました。

「なんでそこまでして……」

その時、私の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じました。何の見返りも期待せず、無償の想いでひたすら便器を磨く人々。

自分の価値観のちっぽけさを思い知らされました。私が今まで大切にしてきたことって何だったんだろう。他人によく見られたい。その為に本当の自分を抑えてきた。ウソで塗り固められた空っぽな人間。私は良い子なんかじゃない。掃除だって好きじゃない。私は弱い人間なんだ―今まで心の奥に閉じ込めていた感情が一気に(あふ)れ出してきました。

「変わりたい……心の底から頑張れる私に。」そう強く思いました。
そして、おそるおそる、自らの手を便器に突っ込んでみる……すると不思議なことに抵抗感は薄れていき、逆にきれいにしたい一心で夢中になって磨き続けている自分に気づいたのです。みるみる内に清潔感の漂う真っ白なトイレに大変身。充実感でいっぱいになりました。私自身の汚れた部分もこの便器の汚れとともに、洗い流されたような気がしました。自分の殻を破り、一歩大きく成長することができました。

今ではすっかり当たり前になったクリーン作戦。やるたびに皆の達成感に満ち溢れた笑顔が輝いています。この輝きが波紋のように広がっていき学校や社会をも変えていく大きな力になっていきます。自分の心を磨くクリーン作戦。二十年後の後輩達の為にも、伝統として繋いでいく事が私の使命なのです。

津田さんの少年の主張「輝き」は、大阪大会最優秀賞を受賞しました。
津田さんを指導された川﨑雅也先生は、朝早くに投稿して、百三十人もの生徒の日誌に朱を入れておられる至誠を備えた指導者です。
私は毎日「致知」という本を読んでいます。先生方も一度読んでみて下さい。

写真は北村西望(長崎の平和記念像の作者)先生の「洗心」です。

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