国民学校1年生の私のノートの裏表紙に、父が墨で書いてくれた 朱熹 の" 偶成 〟の詩は68歳の今でも目の前に 甦 る。
”少年老い
易
く、学成り
難
し、
一寸
の
光陰軽
んずべからず、
未
だ
覚
ず池塘春草
の夢、
階前
の
梧葉已
に
秋声
”
(少年はすぐに年をとってしまうもので、年をとってしまうと学問をすることが困難になる。 だから、
僅
かの時間でもおろそかにすべきではない。春の夢がまださめないうちに、前の
青桐
の葉には秋風が吹いている)
”
謂
う
勿
れ今日学ばずして
来日
ありと、謂う勿れ今年学ばずして来年有りと、日月
逝
きぬ、 歳我を延ばさず、
嗚呼
老いたり此れ誰の
愆
ちぞや”
(今日学問をしなくても明日がある、といって学問を
怠
ってはならない。今年学問をしなくても来年があるといって怠けてはならない。月日は過ぎ去っていくが、自分の歳を伸ばしてはくれないものである。この
過
ちは誰が犯したのであろうか)
犯したものは誰でもない自分自身なのである。 こうした先賢の教えは、知らない者はいないほど知っているのに、さあ学ぶとなると、学べない理由を探す。
「学習の敵は自己満足である。 自惚 、 傲慢 ほど学問の心を妨げるものはない。」
『史記』を書いた司馬遷は、楚の項羽を評して
「数百年の間、
稀
にみる大人物であるが、指導者として欠ける点があった。 われとわが功を誇るあまり自分の知恵を頼って歴史上の教訓を学ばなかったことである。」
項羽は百戦百勝から出た傲慢から自滅している。
明
の王守仁は”人生の大病は、
唯
だ是れ
傲
の一字なり”と
戒
めている。
『論語』に”
吾嘗
て終日食らわず、終夜
寝
ず、
以
って思う、益なし、学ぶに
如
かざるなり”
(私はその昔一日中食事をとらず、一晩中寝ないで考えたことがあるが無駄であった。読書で学ぶには及ばなかった。寝食を忘れて思案にふけってみたが、読書して得るものにはかなわなかった)。
私は来年(平成18年)2月数え70歳(古稀)になる。ゴルフと診療に終われ、読書の時間が 僅 かしかない。今年の目標は佐藤一斎の『 言志四録 』を読むことである。
岩村藩(現岐阜県 恵那 郡 岩村 町)出身の幕末最大の儒学者佐藤一斎は、徳川幕府唯一の大学である昌平坂学問所(昌平 黌 )を統括した人である。当時全国に230余りの藩校があったが、それらの藩校で優秀な成績を収めた者はさらに昌平坂学問所に進み、佐藤一斎の薫陶を受けた。 門弟数千人と言われるが、高弟には佐久間 象 山、 安積艮斎 、大橋 訥庵 、横井 小楠 などがおり、勝 海舟 、坂本龍馬、吉田 松陰 、あるいは「米百俵」で有名な小林 虎 三郎は孫弟子に当たる。
その佐藤一斎が一躍脚光を浴びたのは、平成13年5月、小泉純一郎首相が教育改革関連法案を論議している衆議院の席で、『 言志四録 』の一節「 三学戒 」、「 少 くして学べば、則ち壮にして為すこと有り、壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老にして学べば、則ち死して 朽 ちず」を採り上げ、生涯学び続けることの大切さを説いたことからだ。
『 志 こそが人間のレベルを決める』という価値観を表している『言志四録』は、一回しかない貴重な人生を実りあるものにするために、 天地の公理、つまり人生が栄えてゆくためのゴールデンルールを踏まえるために確実な道案内の役割を果たしてくれるものと確信しています。
「 三学戒 」は、四巻本からなる『 言志四録 」の一冊、「言志晩録」の言葉である。 学問し、精進し、人物を練ることの意味をこれほど端的に表している言葉はない。
一念発起することに、 遅過 ぎることはないことを語っている言葉である。
(平成17年(2005年)1月10日 成人の日に記す)